私も子供の頃は本当に勉強が大嫌いでした。なので、いかにしないで済むようにするかに必死になっておりました。昨年の4月から息子が小学校に通い始めており、毎日学校から宿題をもらって帰ってきます(息子は特別支援学級を利用しています)。私たちの時代とはだいぶ変わっており、宿題の内容は…感じの書き取り数も自分と国語の教科書の音読を1回と計算カードを2回となっています。宿題以外にも勉強の遅れが出ないようにと、漢字の書き取りを土日に4文字分進めています。
宿題や漢字の書き取りを追加でやること自体は、良いとか悪いとかではなく、子供の進捗に合わせて勉強すれば良いかと思っております。ただ…もちろんというか当然というか…息子もご多分に漏れず宿題を拒絶します。
宿題をやらせている時の親の態度
子供が宿題を拒絶した時、私の時代は手をあげて恐怖で支配し無理やりやらせていました。家から閉め出されたことも、数えきれないほど経験しております。流石に今このようなことをすれば、虐待になってしまいます。
当然、私としてもお勧めできる方法ではありません。罰が与えられないとなると、今度は大きな声で「やれ」「やれ」「やれ」と言い続けるしか方法がなくなります。言い方によってはこれも虐待案件になりかねません。明確な基準はないので、虐待にならない程度で「やれ」と言い続けます。そして、勉強が終わると「お疲れ様」くらいの声かけをして終わります…。
私自身の経験と妻の経験と現在進行形の息子の勉強のことしか知らないので、ほかの家庭でどのような教育方法を採用しているのかはさっぱりわかりません。ただ、このように声を大きくしてやらせている家も少なくないと思っています。
「宿題を子供にやらせるのは親の責任」と言われてしまう今日この頃なので親も必死です。この方法は駄目です!って言いたいところですが…良くないって分かっていても…こうするしかないというのが現実かと思っています。なので、この方法を取っている方を否定するつもりもありません。
やりたくない子供とやらせたい親
ただ…やってほしいと思っているのも、やらせなきゃって思っているのも、あくまでも親であって、子供ではないってことが気になるのです。もちろん、将来のことを考えると必要だからやらせていることは間違いないでしょう。学校の勉強に遅れ始めると、とにかく不安を感じます(特に特別支援学級は子供に徹底的に合わせるので遅れがちです…)。
だからと言って子供はそんなことお構いなしです。勉強はとにかくやりたくない…。そんなことより、外で遊んだりゲームをしたい。これも、仕方のないことかと思います。大人が「やっておかないと」と思えるのは、そこに至るまでの経験のたまものだからです。小学一年生なら6年間…1~2歳の記憶は定かでないでしょうから、4~5年間の経験しかありません。目の前の欲に翻弄されるのは当然のことかと思います。
そういう意味で、勉強をさせたいのは間違いなく親の方と言えるでしょう。さて…これまでの話は子供相手でしたが…もしこれが赤の他人の大人だったらどうでしょう?おそらく「勉強させる」なんていい方しないかと思います。「勉強してくれない」が適切な表現になるでしょう。どうして、子供に対しては「させる」なのに、大人に対しては「してもらう」になるのでしょうか?私は子供に対しても、「勉強してもらう」という気持ちを忘れてないけないと思うのです。
せめて…勉強し終わったら一言
「勉強してもらう」という気持ちで子供に接したからと言って、便業してもらうための手段が変わるとは思えません。「お願いだから勉強してください」と頭を下げたところで、子供は唖然としているだけで真意をくみ取るのは難しいと思います。そこで、せめて勉強がし終わったときに一言「勉強してくれてありがとう」と声をかけてあげてほしいのです。
この一言は子供に感謝の気持ちを伝えるだけでなく、勉強してほしいと思っているのは親であることを伝えることにもなります。だからと言って、賢い子供が親の足元を見てつけあがることも防げます。何よりも、子供の貢献意欲を刺激します。貢献意欲は勉強する目的を見つけるためのヒントになります。
さて…私も子供に対してなかなか「勉強してくれてありがとう」と言えずにいます。少々照れくさいこともありますし、自分の過去を思い出して涙が出そうになるからです…。だからと言って、人に勧めておいていつまでも先送りにして言えずにいるものおかしな話です。今夜にでも息子にこの思いを伝えたいと思います。