錯覚していませんか?

何というか…時々残念な人がいて、手法を学んでそれができるようになったことを成長と勘違いしていることがあるんですよね。一つの成長と捉えることもできますが、「知識を得ただけ」とも捉えることもできます。「少し怖いな…」と思ったことがあったので記事にしてあげます。

例えばチームビルディング

皆さんはチームビルディングと言う手法をご存知でしょうか?チームを円滑に運用するために、スタートアップとしてチームを構築しようと言う手法です。講習などを受けると分かりますが、確かに効果はありそうでこれをするのとしないのとでは大きく違いを感じることができます。

私もチームビルディングの研修を受けたことがあります。その時はマシュマロタワーなるものをやりました。いくつかのグループに分かれ、各グループにスパゲティ数本とマシュマロと紐、数センチのマスキングテープを渡されて、如何に高い位置にマシュマロを一定時間維持するかをグループごとに競い合います。

まずは唐突に始められて、高さを測ります。2回目は相談する時間を与えられて、高さを測ります。当然2回目の方が高くなります。そこでなぜ高くなったのかを議論させられるのです。2回目は相談する時間を与えられているので、各グループの議論の結果は、「計画が立てられた」「最中に声掛けができた」「役割分担ができた」などに集中します。

講師はその結果を聞いて、意気揚々と「ほら、チームが出来上がっていると成果が変わってくるんです」と大きな声で皆に言います…。

違和感がぬぐえない

いや…1回目の反省を活かして2回目をすれば同じ失敗はしないので、2回目の方が高くなるでしょう…と心の中でつぶやいている自分がいるのです。議論の時も、それ用の仮面をかぶって参戦しているので、普段の自分とは全く異なる自分です。

グループの中にも、「この人普段はすごく無口だろうな…」と思われる人が一生懸命に声を張って発言している人がいました。と言うか…参加者は皆そうでしたwww。メンバーとも出会って1~2時間しか経っていませんから、心から打ち解けているわけもありません。それでも、研修なので無理して心の扉を開いていきます。

そんな状態のチームで「ほら」って言われても…これは偽りの姿だから…って思うだけです。

錯覚の始まり

厄介なのは、この場に参加してしまっている幹部や経営者です。きっとこう思うでしょう「普段から想像できないような活発な議論ができている」と…。皆が研修用に演出した姿を見て、あたかもそれが事実であるかのように錯覚するのです。

これでは、映画「アルマゲドン」を見て、「巨大隕石が地球に落ちてくる」と大騒ぎするのと同じです。「海の上で石油を掘っている男たちが地球を救ってくれる」と救いを求めるのと同じです。映画を見てもフィクションだと思えるのに、なぜ研修の状態を見てこれをフィクションだと思えないのでしょう。(目の前にあるのは間違いなく事実で、まさか皆が演じているとは思わないからでしょうが…)

その後どうなるかと言うと、「~と言う手法は素晴らしいので広めよう」とか布教活動が始まってしまいます。勘違いしてほしくないのですが…チームビルディングが悪いとは思いません。確実に実施できれば有効な手法で間違いありません(上記の研修のやり方はいまいちかと思いますが…)。問題は「手法を押し付けている」所にあります。

「手法の押しつけ」は「機会の損失」

人は問題に直面した時に、「なぜこのようになったのか?」や「この後、どうすれば良いのか?」など考えます。良い手法が思いつかなかったら「何か良い手法はないだろうか?」と探し始めます。良い手法が見つかったとしても、なじめない部分はカスタマイズしたりして適用します。

これ、まさに人が成長していく過程そのものです。「人は失敗から学ぶ」とはよく言ったものです。問題に直面して、紆余曲折して、それを乗り越えることで人は成長していきます。

ここで手法を押し付けると何が起こるでしょうか?確かに、問題は容易に乗り越えられるかもしれません。時間やコストが節約できたかもしれません。しかし、成長の機会を損失してしまっています。人が成長できる機会は、人生においてそれほど多く出くわすものではありません。その1つを損失するのは会社にとっては大きな損失になるのではないでしょうか?

これからの時代は「成長」がキーワード

これからの時代は、「知識」や「技術」ではなくなる時代になることが予想されます。すでに「知識」については、このネットワークに落ちている情報に人がかなうとは思えません。私が今書いている内容ですら、ネットワークに落ちている小さな1つの知識となっていくことでしょう。

技術は一生勉強と言う世界もありますが、継承者がいなくなりそうな分野ではこの技術を残すために、次々とITが導入されています。解析にAIを使用することで、技術のパターン化もなされています。「後継者がいなくなる分野」以外にも適用される日はそう遠くないでしょう。

そうなったときに、「人は頭を使う仕事」をするようになると言われています。

視野を広く持ち思慮深く頭を使えるようになることは、そうたやすいことではありません。これを実現するための唯一の方法は「成長」することです。成長と言っても、前出の「知識」や「技術」ではありません。「心の広さ」「受け止める器」と言ったものです。

何故かははっきり申し上げることはできないのですが、「心の広さ」「受け止める器」を持っている人は、「視野が広い」ことが多いです。もしかしたら、多様性を心から受け止められていると言う事かもしれません。多様性を広く受け止められる人からすれば、性別や国境の壁など意味が無いものでしょうから。

これからも成長を止めずに、精一杯生きていきたいと思います。

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