怒りやすい人、怒ったところを見たことが無い人。人にはいろいろとあります。ひと昔に流行って、今も書店では平積みされている「嫌われる勇気」で有名になったアドラー心理学では、「怒り」は二次感情と言われています。ロバート・ブルチックによると、「怒り」は「恐れ」の反対の感情の様です。
なんとなくこれってスッキリしないんです。腹落ちしないと言うか…。私が、肌で感じた「怒り」の根源を少しお話ししようかと思います。
私は「怒り」を知りませんでした
実は私は、基本的に「怒り」の感情からはかなり遠いところで生活しています。よっぽどのことが無い限りは「怒り」と言う感情を持たないのです。そういう意味で、怒りっぽい人を見ると昔はなんでそんなに怒ってるんだろう?と思っていました。
私の父と姉はかなり怒りっぽい方の人です。些細なことで怒り始めます。正直、私から見れば「そんなにイライラしていたら疲れるだろうに…」と思っていました。それに、「そんなに怒り散らしたら、周りの人も疲れちゃうよ…」とも思っていました。
母は怒ることも多かったですが、たぶん人並みだったかと思います。家族の中でとびぬけて怒ることを知らなかったのは私でした。
きっと、怒りっぽい人がこんなことを書いているのを見たら、怒り始めるのでしょうね…www
観察して気づいた共通点
怒っている人を観察していると、一つの共通点に気づきます。「なんで~しないのか?」とか「なんで~できないのか?」とか、「なぜなぜ攻撃」をしているのです。うちの姉なんかその後に「常識でしょう!」って言いまくります。
この「なぜ~」を使う事が共通点の第一段階です。怒りっぽい人はどうやら、相手の行動が理解できないようです。こんなことを言ったら、「理解できている」と怒りそうですが…「なぜ~」と聞いてしまうのですから、本質的には理解できていないのでしょう。「わざと聞いている」ですか?感情が怒りに支配されている時に、そのような冷静な判断ができるとは到底思えません。
この「なぜ~」を多用するには理由があります。「自分の思った通りにならなかった」からです。「どうして、自分が思った通りにならなかったのか知りたい」気持ちが「なぜ~」を多用させることになっています。そして、なぜか「怒り」の感情がセットになっています。これが第二段階の共通点です。
「怒りのやり取り」の最後にも共通点があります。「次からは~として」と言って締めくくります。ここまで読んだ方は「なるほど」と思うかもしれません。「次からは~として」と相手に言う事で、「次からは私のやり方でやって」と言っているのです。つまり、第二段階の共通点と同じです。
「怒り」の根源は不安?
ここまでくると「怒り」の根源は「わがまま」と勘違いしてしまうかもしれません。ここで、もう一段深掘りする必要があります。つまり「なぜ、自分のやり方を押し付けるのか?」を考える必要があります。
それは、「不確定要素をできるだけなくすため」と考えることができます。すべて自分のやり方でやってくれれば、安心して任せることができます。しかし、少しでも自分のやり方以外の物が入っていると、不安で不安で仕方なくなります。いてもたってもいられません。そして自分の思った通りの結果が得られないと…不満が爆発するのです。
と言っても、不安に対する対処方法は人によって異なります。不安になると元気がなくなって何もしたくなくなる人もいます。怒りっぽい人と言うのは、不安に対する対処方法が、たまたま「怒り」であった人と言う事が出来るのです。
ポイントは「不安」をどうするか?
相手の行動を信じて不安を感じないようにする、なんてことは到底できるとは思えません。これができるなら、「怒り」の感情とは無縁でしょう。では、この不安な気持ちをどうすれば良いのでしょうか?
実は単純で、不安な気持ちを伝える、相手に不安な気持ちを理解してもらう事で、「不安」を小さくすることができます。「私は~なことで不安を感じてしまう。今、まさにその状態である」と伝えるのです。
一回では「不安」は十分に小さくなりません。少しでも不安を感じたら、どんどん表に出していきましょう。周りの人がうざいと思うくらいが、ちょうどいいかもしれません。
人によっては、プライドや立場が、行動の邪魔をするかもしれません。しかし、よく考えてください。「怒り」が表出して上手くいかないのと、プライドなどを捨てて上手くいくのとどちらの方が良いでしょうか?
また、このように捉えることもできます。自分の周りの人は、自分にどのくらい気を使わせているでしょうか?このエネルギーが仕事に向けば大きな成果につながるかもしれません。このエネルギーは無駄ではないでしょうか?(それとも、自分が気持ちよく過ごすために無駄ではないですか?)
本当の自分をさらけ出す
不安を周りの人に打ち明けることは、結果的に本当の自分をさらけ出すことになります。本当の自分をさらけ出すことで、おそらく周りの人の自分への接し方が変わってきます。今までは腫物に触るような接し方だったのに、声をかけられることが多くなるのではないでしょうか?
「怒り」が出なくなったのだから当然と思うかもしれませんが、それだけではありません。本当の自分をさらけ出すことで、周りの人は「怒り」の原因を理解し、信頼関係が高まったと言う事ができます。人は誰でも、偽りのない人に対して信頼を置くのです。
余談?
「感情の輪」をご存知でしょうか?感情は輪のように繋がっていて、さらに強さによって感情(の表現?)は変わるという物です。
輪の中心に近づくほど、感情が強くなります。また、対面している感情は同時に発生しづらい感情です。例えば、信頼している状態において嫌悪感は表面化しづらいと言われています。
「怒り」の対面は「心配」になっています。「心配」の弱い状態が「不安」になっています。「対になっている感情は表面化しないのではないの?」と思うかもしれませんが、「その通り」でもあり「そうではない」とも言えます。
「その通り」については、「同時に表面化することはない」と言う事です。悲しみに打ちひしがれながら、喜んでいる人はいません。予測が立っているのに、驚く人もいないでしょう。そういう意味で、同時に表面化することはありません。
「そうではない」については、「対になっている感情には強い関連性があり、原因と結果の関係になることがある」と言う事です。喜びが一転悲しみに変わることはあります。信頼が壊れると、一気に嫌悪感へとつながります。
話を戻して「怒りのもとは、不安である」と言うのも、この理論からすれば納得できることと言えます。