「人は変化を求めない」は本当か?

人の内面の成長に関わる仕事をしていると、ふとした時に「人は変われないから」という言葉を耳にすることがあります。これはとても残念なことです。人は成長できないと言っているようなものだからです。また、「人は絶対に変われます」と人前で宣言すると、嘲笑が聞こえてくることがあります。仕事の中で人を変えようとして、変わらなかった経験を積まれているのかと思うのですが…。正直「変えよう」としたら変わりません。

ここでは、「人は変われるのか?」または「人は変われないのか?」を考えようかと思います。

と、その前に…

この投稿のタイトルは「人は変化を求めない」になっているのに、前出の文章では「人は変われるのか」になっています。この違いについてまずは説明したいと思います。

説明といっても一言で完結してしまう程度のことなのですが、「変化を求めている」人は時間がかかれど「変われます」。当然と言えば当然です。本人が変わりたいと思っているのですから、なかなかすぐに変われないかもしれませんが、変わりたいと思っている限り少しずつでも変わることができます。

また、逆も成り立ちます。「変化を求めていない」人は、いくら時間がたっても「変わりません」。ここでポイントは、明確に「変化を求めていない」つまり「変わりたくない」と思っているということです。変化を求めても求めていなくてもどちらでもない人は、環境によって変化していきます。例えば…東京の人が方言が強い地域に行くと、少し方言が移ります。言葉だけではありません、生活習慣や人との距離感も環境によって変化します。

つまり、「人は変われるか?」とは「人は変化を求めているか?」と同義になります。「人は変われないのか?」とは「人は変化を求めていないのか?」と同義になります。

改めて…「人は変化を求めていないのか?」

仕事をしている環境において、ほとんどの方は「変化を求めていない」と感じてしまうのは仕方ないかと思っています。多くの企業の社員の方々は、仕事をするにあたって自分を変える必要がほとんどないのが実情です。ほとんどの作業は定型化されており、それに従い作業を行います。臨機応変さが必要な仕事は、職人技が必要な世界かはたまた芸術の世界に限られているように感じます。

仕事の世界ではそうかもしれませんが、逆に趣味の世界ではどうでしょうか。人は急に上達を望み懸命にスキルを磨き続けるようになります。時々疲れて現状を維持する時間を持ったりすることもありますが、しばらくすると再び上達を望み始めます。(現状維持ができない人に限ってやめてしまう方が多い気がします…)上達を望んでも上達しなくなったときにやめてしまうこともあるかもしれませんが…。年を取って再び始めることも多々あります。これは「変化を望んでいる」ということができます。

こんな話をすると「趣味と仕事は違う」とか「仕事は遊びではない」と言われそうですが(実際に言われてきましたが…)、あなたが趣味を満喫できるのはその趣味をまじめに仕事にしている人がいるからです。たとえ、その趣味が昼ねであっても、快適な空調をするエアコンや、枕にしている座布団、イグサで作られた畳、そもそも昼寝している家…すべて仕事にしている人がいるからこそそろっているのです。そう考えると「趣味と仕事は違う」とか「仕事は遊びではない」という発言は、その趣味をまじめに仕事にしている方々に非常に失礼な発言となってしまいます。極論かもしれませんが、私は趣味と仕事の境界線は存在しないと考えています。

となると、仕事と趣味の違いは端的に「能動的か?受動的か?」に集約されます。能動的に行動をとれる要素は「欲」ですから、仕事と趣味の違いは「欲」だといえます。仕事は「やらされている」に対して、趣味は「やりたくてやっている」ということです。さて…見出しの問いに戻ります。人は本当に変化を求めていないのでしょうか?これの解は、「能動的な場合は変化を求めているが、受動的な場合は変化を求めない」ということができます。

変えようとしていませんか?

この投稿の初めの方に書かせていただきました。「変えよう」としたら変わりません。なぜなら、「変えよう」というのは変えられる本人からすると受動的になるからです。これを能動的にするためには、変えようとしている本人が「変わってもらおう」というお願いする意識で関わることが必要となってきます。または、仕事を能動的に進められるようにする必要があります。後者についてはまた別の機会にお話ししようかと思います。

人とは不思議な生き物です。「変えよう…変えよう…」と圧力をかけ続けると、かたくなになり「変わらない…変わらない…」と反発が強くなります。やったことありませんが…「変わるな…変わるな…」と関わると変わろうとするのかもしれません。

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